素振り500回の極意 - 日立製作所 研究開発グループ技師長 矢野和男氏インタビュー

      2016/11/22    - インタビュー, スキルチェック   執筆者:スキル委員菅由紀子

日立にはヘンジンの会がある!?

日立製作所には、在籍する博士号の学位を持った技術者たちによるコミュニティがあります。在籍する博士が30人に達したのを機に創業メンバーの1人である馬場粂夫氏らによって1952年に発足した「三十人会」が始まりだそうです。やがて、馬場粂夫氏の持論に基づいて「変人会」と名を改めたが、1959年に恩を返すという意味の「仁に返る」を掛けて「返仁会」に改称し、現在では2000人を超える日立の“変人”たちが在籍しているそうです。
東京・国分寺の日立中央研究所には、正門を抜けると「返仁橋」という橋があり、建屋に辿り着くにはこれを渡る必要があります。まさに「“ヘンジン“たちの巣窟」・・・? 今回のインタビューでは、そんな“ヘンジン“達を束ねる日立製作所 研究開発グループ技師長 矢野和男氏にお話を伺って来ました。

日立製作所 矢野和男様 プロフィール
株式会社日立製作所 理事 研究開発グループ 技師長
1984年 株式会社日立製作所入社。2004年から先行してビッグデータやAIを使った企業業績向上やウエアラブルによるハピネスの定量化で先導的な役割を果たす。論文被引用件数は2500件、特許出願350件。著書『データの見えざる手』がBookVinegarの2014年ビジネス書ベスト10に選ばれる。

 

素振り500回の極意―データに生命が宿るまであきらめずに眺める

スキル委員: 矢野さんはデータサイエンティストにどんなイメージをお持ちでしょうか?

矢野氏: この分野で活躍しており、かつ共感した方と思い浮かべると、例えば、Yahoo 安宅さんと、楽天 北川さんが浮かびます。面白いのは、二人とも情報科学のご専門ではありません。安宅さんは生物学、北川さんは理論物理です。私も大学の専攻も理論物理です。おそらく「生物学」や「理論物理」には、人の見方を狭くする専門化を超えて、一段抽象度の高い「メタ学問」に近い部分があります。実は、データサイエンティストには、そのようなメタ学問の素養が必要なのかもしれません。

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「プロフェッショナルは素振り500回」

スキル委員: 他にもデータサイエンティストに必要なことはありますか。

矢野氏: 素朴な答えになりますが「データの特徴に気づけること」が重要だと思います。私は「データに生命が宿る」と感じることがあります。私はとにかく「あきらめが悪い」のですが、そのおかげで、これまで9回裏まで劣勢でも、データに新たな意味を見出すことで、最後に一発逆転したような経験が結構あります。最後まで諦めない。これは練習して身につくものかはわかりませんが、私はぎりぎりまで諦めないことを楽しむところがあります。重要なのは、悶々とうなって考えるのではなく、現物やデータと触れることです。一見単純な作業の繰り返しが必要なこともあります。これがチャンスです。一種の素振りだと思って「素振りを500回する」ぐらい、淡々と続けると何かが向こうからやってくることが多いです。1回目には分からないことが、500回目単純作業を繰り返す中に気づくことがあります。

スキル委員: データへの向き合い方を野球で例えるのは面白いですね。そういえば、メジャーリーガーのイチロー選手が、「素振りを続ける中から自分で気づくことがある」と、TV番組で言っていました。その点では、矢野さんは「思考のアスリート」といえるぐらいに考え尽すのですね。

矢野氏: 仕事がどれだけ見通せるかにもよりますが、典型的には、期限までの時間の90%はコンセプトを検討するのに費やします。そして、具体的な報告書やプレゼンの作成は、期限が迫った残り10%まで手をつけません。割と早くから資料づくりの作業に着手する人が多いのですが、私は大きく違います。実は、この綱渡りのようなやり方が創造性を高めることに体験的に気づいたからです。

スキル委員: なぜ、このような方法を取るようになられたのでしょうか?

矢野氏: 単純な事実として、ギリギリまで待った方が、その仕事に役立つ情報が向こうから寄って来ることが多いです。別の仕事を頼まれて、「時間がないのに、こちらもやるのか」と思うこともあるのですが、なぜか、その一見関係のない仕事に、別の仕事のヒントが潜んでいることが多いのです。そういう意味でギリギリまで待つのです。

スキル委員: 先ほどの「素振り」はアスリートで例えるなら「マラソンランナー的な素質」だと思いますが、今のお話は「100mスプリンタの瞬発力」も兼ね備えている訳ですね。

矢野氏: 締め切りが無いと、クリエイティブな能力が沸き起こってこないですね。「(人が期待してくれている)課題」と「締め切り」が与えられたら、ワクワクします。いやワクワクするようになりました。実は昔は、締め切りは「いやだなあ」と思っていました。

これまでのキャリアを振り返る①―誰もいない領域に自らの身を置く

スキル委員: 矢野さんが書かれた書籍についてもお聞きしたいと思います。『データの見えざる手』は素敵なタイトルですね。

矢野氏: 「言葉には力がある」と思っています。古代人はこれを「ことだま」と呼んでいました。物事をどう言い表すかによって、全く違った風景が見えてきます。実は、「データの見えざる手」というタイトルは、当初は違っていました。100個以上の候補を、素振りをするように考えました。そのうち99個は捨てたわけですが、無駄とは思っていません。楽しく学びの多い体験でした。あるとき、それこそ出版の締め切りが迫ってきたころに、アダムスミスの「見えざる手」という言葉が突然目に飛び込んできました。この柱となる概念から本の全体を見直しました。

スキル委員: 今は多くの方に読まれており、世の中に大きなインパクトを与えたと思います。次に、矢野さんのこれまでの軌跡についてもお聞かせ下さい。

矢野氏: 今の研究に携わるようになったのは、日立の半導体事業がなくなったことです。新しいことを考える時、人は、これまでの経験や技術をすこしでも活かしたいと思うものです。私もそうでした。半導体での経験を少しでも活かすために、省電力で動くデバイスを作ろうと考えました。しかし同時に、それが生み出すデータも重要になるのではないかということに仲間と議論するうちに気づきました。それが13年前ぐらいで、今で言うウェアラブルなデバイスをその頃から作り、データ収集を続けてきました。定量的なテクノロジーを使った計測データから人間・社会・経済について研究している人がいないと感じ、誰もいない領域なら自分が取り組もうと考えました。

スキル委員: 今の研究に携わるようになった際、どのようにスキルを磨かれたのですか。

矢野氏: 常に学び続けています。今は生物を集中的に学んでいます。このような時には、対象分野の本を一気にたくさん買い込みます。このため図書館のような家に住んでいます。本を読むのは速いです。色々な本を読みますが、研究に関する書籍だけでなく、例えばドラッカーは20代の頃から愛読していました。ハーバードビジネスレビューは、20年以上購読を続けています。当時の研究職の周りでは、ビジネス分野の本を読む人が少ないなかで、たまたま同僚のMBAを取ったナイジェリア人が読んでいた雑誌がハーバードビジネスレビューでした。データサイエンティストは本を読んで常に学ぶ必要があります。大学院の時に先生に紹介されて読んだハーケンという人の「シナージェクス」などは大変刺激をうけました。これは今につながっています。本を読むのは好きで止められません。寝る時も本を枕元に置くことも多いです。ある分野に興味を持つと、その領域の本を何十冊も読みます。新しいテーマを見つけて、先人がどんなことを言っているかを知るのは、とても楽しく、そして、そこに発見があります。

スキル委員: 他にも心がけていることはありますか?

矢野氏 : 手を動かすことも重要だと思います。生のデータを見る、ということももちろんそうです。自分でプログラムを今でも書いています。分析ツールも Excel-VBA やTableau 、特にSASのJMPは愛用しており、 “体の一部”と言えるぐらい使い込んでいます。

これまでのキャリアを振り返る②―複数の楽器を弾くことの重要性

矢野氏: 私は学生の頃、ミュージシャンになりたいと思っていました。ジャズのサックスを吹くのですが、ある時、ある後輩が色々な楽器が弾けて、どんどん高度な音楽を生み出すのを目のあたりにしました。私は楽器を吹いていました。これに対し、その後輩は音楽をやっていました。これは大きな違いです。この体験から、楽器を吹く人ではなく、音楽を聴かせる人でなければならないと思うようになりました。この目的は音楽では果たせませんでしたが、仕事ではこれを常に意識しています。

スキル委員: 我々もデータサイエンティストの能力をビジネス・サイエンス・エンジニアの3領域に分けていますが、どれか1つが欠けても駄目だとしています。矢野さんの音楽の話は、非常に大事な示唆で、そのような発想をデータサイエンティストも備えていくべきではないかと思います。

データサイエンティストを志す人へ―素振りの先に直感に委ねる自分がいる

スキル委員: データサイエンティストを目指す方々にメッセージをお願いします
矢野氏: ある時から私は「直感」に委ねることの重要さに気づきました。40歳ころまでは、色々と理屈を先に考えていましたが、最近は「直感でいいんだ」と考えるようになりました。「直感が先で、分析や理論は後」この自然な流れを意識するようになりました。理屈から無理に直感を得ようとしなくなりました。こうすると、水が上から下に自然と流れるように、直感も分析もうまくいくようになりました。
あと、若い人たちには、楽しく仕事に取り組んで欲しいと考えています。職場の壁にある「之を好む者は、之を楽しむ者に如かず(論語)」(物事を好きな人は、楽しむ人にはかなわない)は大好きな言葉です。

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矢野様とスキル委員 田中・佐藤・菅

■編集後記■

自分自身が近年読んだ本の中で最も感銘を受けたのが「データの見えざる手」でした。なので、お会いできて非常に光栄でした。インタビューでは、おだやかに話す中にコダワリを感じるシーンがたくさんありました。先日の滋賀大学竹村先生へのインタビューでは、データを「色」で表現されていましたが、矢野さんは「データに生命が宿る」まで眺めると言っていました。データサイエンティストが持つ、独特の捉え方・表現方法には何か秘密があるのかもしれません。

スキル委員:田中

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「データ見えざる手」を読んで、これまで測れないとあきらめていたことが今後は変わっていくと目から鱗が落ちました。その著者と直接お話しさせて頂き、やはり素晴らしい方であるとともに、「手を動かす」「役立つ情報が向こうからやって来る」「素振り(基本訓練)を積み上げる」など共感する部分が多かったことも印象的でした。

スキル委員:佐藤啓紀

何かが見いだせるまで「素振りを500回」。それを繰り返していると情報が自ずと集まってくるというお話は、専門性を持って突き詰めた方でなければ言えないことであるなと感じました。本をとにかく沢山読む、ということについては、インタビューをお願いした方々の殆どが仰っており、改めて本を読むことの重要性に気付かされました。

スキル委員:菅

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