2023/12/20

人工知能のための哲学塾

著者名:三宅 陽一郎

出版社名:ビー・エヌ・エヌ

澪標アナリティクス株式会社
井原 渉さん推薦!

井原氏 推薦文:人工知能を実際の事業に組込を始めていくにあたり、本格的に使われ始めてくる中で、ビジネスの効率だけを考えていいのだろうか?という事に悩んでいる頃に、この本を読みました。実際に未成年者を含む多くのユーザに使われている人工知能を作っている著者の書いた本です。哲学書をほぼ読んだことのなかった私にも読みやすく、考えさせられる内容でした。

★★★ ↓ DS協会 企画委員による解説文 ↓ ★★★

まよ

最近、人工知能(AI)ってニュースだったり新聞でもよく聞くので、時代に沿った書籍で興味が出ました。でも、哲学と人工知能を詳しく知らなくても理解できるのかなぁ?

博士

博士

この本を読むにあたってはなぁ、人工知能は詳しく知らなくても良いんじゃが、哲学・思想・歴史に興味があることが前提じゃの。知能を作ろうとすることは「知能とは何か」に答えることであるし、作ろうというときこそ、知識は試されるもんじゃ。「知能とは何か?」という、古来から人間が何千年と考えてきたことに、現在も答えられていないからのう。人工知能を作るには知能とは何かに答えることでもあり、この本はそれに迫る試みを記したものじゃの。

まよ

人工知能って、AI将棋や車の自動運転とか最近話題のものに使われている技術ですよね!

それと哲学にどんな繋がりがあるんですか?

博士

博士

よいかな、具体的に言うぞ。皆がよく遊んでいるゲームのキャラクターを作る時に何が必要かを考えて欲しいんじゃ。人間には、身体と(外部)環境とのあいだに、皮膚があり、耳があり、目があり、鼻があり、舌があるわな。それらを境界にして、身体の中に知能がある。そういった原理をプログラムによってゲームの世界の中で動かすんじゃ。このようなアイディアは、フッサールの現象学がとても参考になっておる。人間の認識や自我というモノがどうやって形成されるかという問いじゃ。それまでのデカルトの機械論的世界観を再定義する流れにも沿っておる。おっと!これ以上は・・・わしの知性があふれるのを抑えられんわい!!

まよ

「対象として、モノとして実装していくのではなく、私たちの<ココロ>の経験に沿いながら、隣り合う存在として、「人工知能」を考えていくこと」(本書あとがき295頁)とは、どういうことでしょうか?

博士

博士

おっと、ピンポイントな気づきじゃ。それくらい本書を読んで貰えると嬉しいのぅ。難しい質問になるが。「こころとは何か?」をどうやって対象化するのじゃい?「こころ」とは何かを考える「こころ」は、どの「こころ」で捉えるのじゃ?つまり、「自我」とか「意識」とか「こころ」のうちを対象とせずに、人間の「経験」を記述するという方法を取るのが知能を作るには良さそうなんじゃ。この考え方もフッサールに通じるものがある。将来、人工知能が「ココロ」を持ったときに世界にどのようなまなざしを向けるのかは、人間でいう個性と同じじゃな、ということを言っておる。言っておるのは、著者本人ではないがな笑。

まよ

なーるほど。それによって、見えてくるAIと私たちの社会との関わりはどうあるべきですか?

博士

博士

これはな、哲学に終わりがないように、人工知能にも終わりがないんじゃ。ずっと問い続ける問題だわな。なので、自分で考えることじゃ。補足になるが、本書はあるセミナーの内容を書籍化したもので、あとがきには参加者によるディスカッションの様子が載っておる。例えばじゃ、『ゲームキャラクターに身体感覚を与えることはできるか?』を議論しておるのじゃが、一般の参加者たちの苦闘が垣間見えて、自分で考えることの重要性に気づかされる。参考にしたまえ。

まよ

博士、ありがとうございます。哲学も人工知能も興味が沸いてきたので、読んでみたいと思います。

解説文執筆:

データサイエンティスト協会 企画委員会

株式会社分析屋 徳永真由/株式会社GRI 上野勉